身体調律2

2回目の身体調律に行った。

水銀が溜まっているらしく抜いてもらった…先生がどうやって抜いたかはわからないが、
体に触れず、取り去るような仕草をしていた。怪しい。

でも、身体が軽くなった。

すると先生が、「あなたには僕と似たものを感じるんだけど、僕はね、空っぽなの」

「え~、ってことは私も空っぽってこと!?」
「それって、大丈夫なの?」
「空っぽでいいの?」
「嫌だ、こわっ」

と、一瞬にしていろんなフレーズが頭をよぎった。

「あのね」…低く、ゆっくりとした話し方で、
「僕は空っぽだから、自分という器で、どれだけ周りの人が笑顔になってくれるかでしか、自分を知ることができないの」(だいたいこんな表現)
とおっしゃった。

はっとした。

現在の私は、他者の評価を自分の評価にして来た時代から、自分でしか自分の評価はできないんだ、という地点に行き着いて、
「誰からも認められなくても、ううん、人からバカにされたとしても、今やっていることをやって行く」というところに定まっていて、
それでいい、ここまで来た、ここが終着点、と思っていた。

そこに持って来て、先生の発言だよ。

「わ~、第三ステージあったんだわ」。

考えてみれば、人が社会的な生きものである限り、他者と自己の関係をなくすことなんてできるはずがない。

他者あっての自己であり。自己あっての他者だよね。

自分ひとりで完結したら、つながらなくなっちゃうもんね。

そうか、第三ステージは、「他者の評価」から「他者の笑顔」へのシフトなんだね。

まあ、言葉で言うほど簡単ではないかもしれないけれど、やってみるよ。



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by tarakosun | 2017-12-17 20:40

誹謗中傷…自分

先日、似た分野の方とお話をした時の会話。

「誰の心理学学んだんですか?」
私「ユング心理学です」

「フロイト、ユングは古いよね。今はアドラーでしょ?」「原因論ではなく、目的論だよね」
私「そうですね。目標設定は大事ですよね」

「で、催眠に入れない人っているでしょ?」「統計では85%が入れないと言われてるよ」
私「そうでしょうか。私の体験では、入れない方は5%くらいですが」

「催眠てさ、意識があるうちは催眠ではないって知ってる?」
私「意識がなくなったらセラピーはできませんから。意識が無意識を認識するのが催眠療法ですから」

「ユングはね、意識がある状態では、無意識の領域には働きかけられないって言ってるんだよ」
私「そうなんですか」

私「キネシオロジーも使うことがあります」
「キネシオロジーもさ、何でも体に聞いて答えを得るの危険だと思うけどね」「あれは、確認のために使うものだよ」
私「……」


こんなやりとり。

心の中で、ドクターX風に独り言を言っていた。

私、古いとか新しいとか関係ないので。
ただユングが好きなので。
人の批判?いたしません。

以前の私だったら、まず、悔しくて、みじめで、落ち込んだと思う。

今回は、自分でも意外な反応だった。

それは、「相手が小さく見えた」ということ。

相手は、私が足元にも及ばないくらい活躍していて、知識も技術も別格。


なのに、なぜ小さく見えたのだろう。

しばらく考えた。

答えが来た。

私は、セラピストとしてだけで生きているわけではない。
ひとりの悩める女性として、50代のおばさんとして、これからも成長したいと願っている人間として、生きている。
だから、セラピストの部分を否定されても、それは私の一部でしかない。

それに、ありがたいことに、否定されたセラピストの部分によって、たくさんの人とつながることができている。
このつながりは、誰にも否定できないものだ。

そして、そのつながりの接着面に存在しているのは、セラピストとしての知識や技術ではなく、
悩める女性、50代のおばさん、これからも成長したいと願っている人間としての私。

私が強い気持ちでいられたのは、みなさんのお陰です。

この答えに行き着いたとき、自分がいかに幸福かと、胸の中に温かい波が広がった。







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by tarakosun | 2017-12-04 21:37

アメリカの企業がマインドフルネスを取り入れているというトピックが報道されたりと、
多くの人に、瞑想が浸透してきました。

瞑想は、一言でいうと、「今、ここに在る状態になる」ということ。

日頃の私たちの頭の中は、過去か未来のことを考えていることが多く、
今という瞬間に居ることが少ないから、
エネルギーが分散し、頭の中もニュートラルな状態ではなくなってしまうんですよね。

瞑想している時の脳波は、催眠状態と同じ。

体験した方は実感済みだと思いますが、
セラピーしている時は、気づきの力が格段に上がりますよね。

仕事中はほぼ催眠状態になっているので、ほぼ毎日、瞑想しているようなものなのですが、
それとは別に、寝る前やお風呂の中で瞑想をするようにしています。

実は、数か月前から、体調の良くない母親を、夕方から翌朝まで我が家で預かることになったのですが、
何せ、被害者意識が強い上に、目が見えづらく、耳も聴こえづらいものだから、
意思疎通ができず、何とも切ない気持ちになっていた中、瞑想中に不思議な体験があったんです。

目を閉じ、ソーハム瞑想(心の中で「ソー」と言いながら息を吸う。「ハム」と言いながら息を吐く瞑想法)をしていると、
ふと、父方祖母、母方祖母の二人の祖母が頭の中に浮かんで来て、
「そう言えば、私はこの二人のおばあちゃんには可愛がってもらったな~」というしみじみした気持ちが込み上げて来ました。

しみじみ~と感じていると、父方祖母のイメージが遠のくと同時に、母方祖母のイメージがどんどん前に出て来て、
私に向かって「大変な思いさせるね」と声を発して来たのです。

続けて、「あの子はね(母親のこと)、私が苦労させたの。若くして夫をなくした私の代わりに、働いてくれて。
あの子がこんな風な意固地な人間になったのは、私のせいなんだよ。だから、私に免じて許してやってくれ」。

私が、「いや、私、ちゃんと世話していないから」と言うと、
「充分にしてくれてるよ。これ以上望んでないよ」とあたたかい声で返してくれたんです。


この瞑想の後、テレビの前に座っている母親の姿を見たら、
わからずやの人間ではなく、健気な子どもに見えて、スーッと気持ちが和みました。

だからと言って、「これからはもっと優しくするね」なんて、そんな素直な私ではないですが、
少し自分の気持ちが緩んだのを感じたので、この緩み感を大事にしていこうと思いました。

瞑想…すごいです。











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by tarakosun | 2017-12-01 22:38

催眠療法で人生を癒す、ヒプノセラピストのココロの旅日記