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働く意味

「ブログ、読ませてもらっています」。
そんなうれしい言葉をかけていただいた。

これからはもっと頻度を上げて書いていこうかな。



「なぜセラピストをしているのか?」と問わて、
「子どもの時から、人の気持ちが読めてしまう能力があったんです。
過去生でシャーマンをしていたこともあり、人々の意識を覚醒させることが自分の使命と気づき、
今までの体験も、すべて今につながっていたんだなと思います」

そんな風に答えられたらカッコイイかもしれない。

実際はどうなのかと自問してみた。

出て来た答えは、
「生きるため」。

「生きる」にはいろんな意味がある。

生計を立てる
子どもに教育の機会を与え、育てる
自分を開拓する
社会の中で自分を生かす…。

こう書いてみると、
結局、自己満足の為だけに仕事してる感じがするし、
「生計を立てる」とか、結構、泥臭い。

自己満足。
あまりいいイメージのない言葉だが、
自己満足を求めない生き方なんてあるんだろうかと思う。

自己満足という底支えがあって、
他者満足の域に入っていけるのだとも思う。

そして、もうひとつ言えるのは、
万が一、宝くじの高額当選しても、働き続けたいということ。

買ってもいないけど。


…で、なぜセラピストになったのか。

セラピストという職種は、私の選択肢には皆無だった。

でも、先が見えない時期に、いろんなタイミングや出会いが重なって、
目の前に立ちはだかっていた霧が薄らいだ時、
そこにあったのがこの職種だったということ。

それでも、「仕事」にできるのかは「未知」。
自信ゼロ。
逆に、逃げたくなった。


逃げたくなったが、生きていくためには何かしなければならなかったから、恐る恐るやり始めた。
そんな、頼りない出だし。

振り返れば、この「未知」が自分の「道」になるのかと思う。



そして結果、私が救われた。

セラピストとして働くことで、私自身が救われているんだ。

セラピーの場では、私がクライアントさんを救っているように見えるが、
実は、互いに自分で自分を救っている。









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by tarakosun | 2015-01-29 10:20

久々のスイマーズハイ

「ランナーズハイ」は「高原」とも言われ、
ランニング中に、いつまでも走っていられるような状態になること。

脳内にエンドルフィンという物質が放出され、至福感を感じるそうだ。
だからエンドルフィンは、「脳内モルヒネ」と言われている。

週に1度程度泳ぎに行っていて(…五十肩の予防と緩和のため、、、)、
昨日も夕方プールに行った。

いきなりスイマーズハイがやってきた。

苦しくない。ひとかきでよく進む。身体が軽い。

しばらくその感覚に浸り、自分の呼吸に任せてストロークを繰り返した。

いつもは、最初の100メートルが一番きついのに、
楽なまま、気づいたら300メートル程は泳いだようだった。

その後、自分の泳ぎで気になるところがあるので、
そこを修正しようと試みると、
すると、あれあれ、とたんに苦しくなる。

いつもの、4ストロークで1度の息継ぎが間に合わない。
リズムが狂う。
鼻から水も入って来た。。。

なんで?

…頭で考え、
それも、「なんでうまくできないんだ」なんて、自分を否定しているものだから、
きっと脳はエネルギーや酸素を消耗してしまうんだろうな。

医学的にはわからないけれど、勝手にそう結論づけた。







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by tarakosun | 2015-01-26 10:30

いいとこ取り

光があれば影ができるように、
モノには表と裏があるように、
この世界は、相反するものが背中合わせに在ることで、
存在を可能にする世界だから、
ネガティブな部分は受け取らず、
ポジティブだけを手に入れようとするする者には、
結局、ポジティブも中途半端にしか手に入らない。

真剣に求める者にとっては、
そのポジティブが手にできるなら、
ネガティブなんてどうでもいい、となる。

「どうしたらいいとこ取りができるかを考えられる人間が賢いんだ」。
なんて、計算ばかりしている間に、
あなたより賢くない、計算ではなく直感で動く人は、
もう次を選択し、動いている。

速ければいいというものではないが、
考えてばかりで、とどまっているよりは、
即断、即決した人間の方が、人生は濃密になるだろう。

多くの体験をし、人と出会い、その中で学び、成長していく。

たとえ失敗したとしても、失敗というものを体験できたことは、
何もしない人よりずっと、心は喜んでいる。

私たちは、体験するために生まれて来たから。


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by tarakosun | 2015-01-24 22:20

被害者意識

被害者で終わるな。

あなたが被害者でいるうちは、あなたを貶めた人間のコントロール下にいると同じことだから。

ただ、それは簡単にできることではないね。

だからまず、さんざん悔しがって、悲しんで、怒って、泣くんだよ。

そして、少しでも前を見る気持ちが出てきたら、
もう被害者であることは止める!と決める。

そして、一矢報いるんだよ。その人に。

もちろん正当な方法で。

私が勧めたい方法は、
「その人と関係のないところで幸せになること」だ。

これは、あるヒーラーに教えてもらった言葉。

はじめは、「関係のないところで」という意味が理解できなかったが、
今はよくわかる。

人にどう思われるとか、損とか得とか、カッコイイとか悪いとか、
目立つとか地味とか、プライドが満足するとかみじめとか、
そんなものさしを全部捨てて、
自分の気持ちに素直になって、まずは一歩踏み出してみること。

その一歩が吉と出るかは保障がないけれど、
その一歩がどんなにささやかであっても、
その一歩が、被害者であることから救い出してくれる。

そして、いつかあなたを傷つけた人が目の前に現われたら、
なりなれた笑顔で、ていねいに、「どうも」と言って、通り過ぎればいい。

被害者でいないことは、あなたを自由にしてくれる。

それから、もうひとつ。
大切なメリットがある。

それは、あなたが「加害者にならなくてすむ」ということだ。

被害者は必ずどこかで加害していて、
加害者は必ずどこかで被害に遭っている。

だから、被害者だったあなたは、周りの人に加害したことがあると思う。

「加害」というと辛辣な言葉になってしまうが、
たとえば、あなたの話を真剣に聴いてくれた人に、また何度も同じ愚痴を聞かせたり、
周りが与えてくれているあたたかい思いに気づかなかったり、
誘いのメールを送ってくれているのに、適当に断ったり…。

被害者意識に陥ると、「自分が一番大変」になってしまうから、
周りの人のことがわからなくなって、勝手に孤立し、心を閉ざす。

あなたがその状態になっていることに、周りは無力感を感じて、傷つく。

…という図式。

そして、被害者であるあなたは、加害者を憎んでいながら、同時に自分自身を憎んでる。
つまり、自分にも加害しているんだ。

もう、自分を責めるのは終わりにしよ。
十分苦しんだんだから。
その苦しみがどんなものか知っているのは、自分なんだから。


虐待、DVなどの被害者のことを「サバイバー」と呼ぶ。

あなたは被害者ではない。
生き延びたサバイバーなのだ。

サバイバーの称号を名乗るにふさわしい勇者なのだ。






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by tarakosun | 2015-01-22 12:43

遅刻する人

遅刻する人というのは、大抵、いつでも遅刻するものだ。

催眠のスクールに通っていた時は、入室した時間、退室した時間を記録する決まりがあった。
時間を守れないということが、内面の問題と関連しているからである。

遅刻する人は、まず、「依存的」である。
時間をコントロールできない…、つまり時間に振り回されているということだから、
自立していないということになる。

次に、「自分中心」である。
時間というのは、「相手の時間でもある」という考えがないから遅刻できる。

「自分中心」の中には、「私が一番大変なんだから」という思いが含まれている場合もある。
忙しがっている自分。。。

もしかしたら、「決まりを守ること」への、無意識の抵抗があるのかもしれない。
「いい子ちゃんなんかで、いてやるもんか!」という思い。

十数年前の私だ。

十数年前、当時の市長との約束に遅刻した。
「あなたは市長より忙しいんだね」と笑ってかわしてくれた。大人だ。

それに引き替え、私はなんて稚拙な人間なのだろう。

怖ろしいことをしでかした。
でも、この怖ろしい体験のおかげで、ようやく目が覚め、私は変わることを決めた。

いつまでも人の痛みに気づかないと、痛い思いをすることによってわかるようになる。

痛い思いをする前に気づけばいいのに。














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by tarakosun | 2015-01-20 21:54

使命

「人には天から与えられた使命がある」ということを聞いたことがあるが、本当だろうか?

そう信じたら、少しは勇気がもてるかもしれない。

その上、「あなたには特別な使命がある」などと言われたら、
戸惑いながらも、「えっ、そうなの?」→「じゃあ、今のこの苦難も特別な使命のためなのか?」
→「そうか、私は特別なんだ」

劣等感が強い私は、乗せられて、そう思うに決まっている。

でもどうだろう。
冷静に考えてみると、逆に「特別でない人」なんているのだろうか?

すべての人が特別な存在だ。
すると、すべての人が特別でも何でもないということになる。

それに、使命があろうがなかろうが、特別であろうがなかろうが、
とにかく生活していかなければならないし、
毎日、炊事・洗濯があるし、
顔も洗わなければならないし、お風呂も入らなければならないし、
人とも話したいし、おいしいものも食べたい。

そんなことで一日はできていて、
それができるってことは幸せなことだ、と思う。

だから結局、使命なんてなくても幸せは感じられるんだ。

そして、使命など意識しなくなったとき、やっと裸の自分が力を発揮するんだな。

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by tarakosun | 2015-01-10 22:55

恋人、夫婦の間には

人は、親しければ親しいほど、相手との間に上下関係をつくってしまいがちだ。

特に恋人や夫婦の場合、上に立ちたがる。
「勝ち負け」の気持ちが出て来てしまうのだ。

自分の言い分が通れば「自分が上」。

だから、コミュニケーションも「勝ち負け」になる。

勝ち負けコミュニケーションでは、「本音」は出にくい。

なぜなら、「本音=さびしいよ~、もっとこっちを見てよ~、認めてよ~、こんなに頑張っているでしょ? どうしてわかってくれないの?」
…で、
と言うことは、「相手に弱みを見せることになる=負ける」だから。

本当に相手と安心した関係になりたかったら、絆を深めたかったら、
弱みもすべて、互いにテーブルの上に広げなければならないんだろう。

これが、なかなか難しい。

自分が広げても、相手が広げてくれなければ、一人相撲になるから。

クライアントさんからもよく聞く。
「夫には、もちろん感謝しています。だから、関係をよくするために、思い切って感謝の気持ちを伝えたんです。
そうしたら、『だろ?だから俺の方が偉いんだよ』と言われました」。

この夫さんは、相当劣等感が強い。
それも自覚なし。

こういう傲慢な態度をとる人の深層心理には、実は「怖れ」が根を張っている。

自分が重要でなくなることへの怖れ
自分に価値がないことを思い知ることへの怖れ
孤立することへの怖れ…

この「怖れ」を正視するのは、本当に怖い。
だから見たくない。

そして結果。
「怖れ」が現実化する。

妻は気持ちの通じない夫を愛することはできなくなり、経済的な問題さえなければ、夫なしで生きていこうとするだろう。

そう。
本当に重要で無くなり、本当に価値がなくなり、本当に孤立するのだ。

思えば、私も長い間、このパラドックスの中にいたな。


 



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by tarakosun | 2015-01-10 14:02

大みそかの夜

あけましておめでとうございます。

昨年一年、セラピストとして仕事をさせていただき、ありがとうございました。

昨年は、個人セッションだけでなく、いろんなセミナーを企画し、
そこでも多くの出会いを体験できました。

心理療法と知識で私自身が楽になれたように、
今年も、ひとりでも多くの方に、心の仕組み、人生の仕組みを伝えていきたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いします。

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2015年が幕を開けたというのに、大みそかの話し…。

年末年始は毎年、夫の実家、長野県で過ごす。

姑は、8年間の半身不随生活を経て、20年前に他界し、
今は、舅ひとりで暮らしている。

舅は敬虔なクリスチャンだ。

舅はいつも聖書のこと、神様の話しをしてくれる。

これは私にとって興味深い話であり、とても心地いいことなのだが、
息子である夫にとっては、そうでもないらしく、
以前、そのことで親子喧嘩にまで発展してしまった。

その理由のひとつは、小さいころから日曜礼拝などを強要され、友達と遊べなかったことへの不満。
そしてもうひとつは、私なりの宇宙論を話していた時に、舅が鋭く切り込んできたのを見て、それから私を守るため。

それが理解できなかった舅は、
「たまに帰って来た時くらい、親の話が聞けないのか!」と、いつもは温厚な人が激怒。

夫も、「たまにだからこそ、そうじゃない話もしたいんじゃないか!」と言って布団に入る。

舅には、「私はおじいちゃんの話、嫌ではないし、親とはこういう話はしないから、うれしいんですよ」と伝えたが、
一緒にいた娘は泣き出すし、せっかくの大みそかが支離滅裂になってしまった。

そして今年。

舅は神様の話を一切しなかった。

近くの日帰り温泉に行き、
新潟で買い出した肴をつまみにお酒を飲みながら、
紅白を観て、ゆく年くる年を観て、その合間に他愛のないことを話して終わった。

舅は、救われるためには信仰が必要だと思っているから、
自分が生きているうちに家族に伝えたいのだ。

でも息子は、こうして、親とどうってことないテレビを観ながら、
どうってことない話がしたいんだ。

親が与えたいこと、子どもが欲しがっていること、
どうしてこう食い違うのだろう。
お互い想い合っている事実がそこにあるのに…。

そして、どうってことない時間を過ごすことも大切な意味があるんだ、そう思った。

何をするかより、誰と過ごすかが一番大切なんだと。

どんな人生を歩くか、それはもちろん重要だけれど、
そばに誰がいてくれたかは、もっと重要だ。





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by tarakosun | 2015-01-09 10:59

催眠療法で人生を癒す、ヒプノセラピストのココロの旅日記