さびしさとやさしさ

先日、一緒にセミナー講師をしてくれている、
ヨガセラピストの高塚利香さんのヨガクラスに行った時のこと。

利香さんが、脳カルマ(脳内のストレスや老廃物)をデトックスする呼吸と瞑想誘導をしてくれて、
とても気持ちよく催眠状態になっていると、
漆黒の闇の中に包まれて、自分ひとりがそこに浮いているようなイメージが湧いてきた。

ひとりぼっちで闇の中にいるのだから、怖い気持ちや孤独な気持が出て来るのかと思っていると、
闇が大きく強い確信に満ちた存在に感じられて、
むしろ、あたたかく、安心した気持になっていくのに気づき、
守られているような感覚が感じられた。

その次には、自分自身が、その闇に立場を替え、
自分が拡大していくような感覚が訪れた。

開放的ないい気分だ。

その感覚を心の中で追いかけていると、
孤児のイメージが出て来るではないか。

5歳くらいの、肌が少し茶色の女の子。アンデス地方の人種かアボリジニ?

孤児とわかったのは、汚れていたから。

汚れて、痩せて、目ばかりが大きい。

…「この子は私だ」。そう思った。

この子になり変って感じていくと、
最初に現われた感情は、「さびしい」だった。

強烈なさびしさ。

その感情を掘り下げていくと、「あれ?」、「さびしい」しかない?

この子には「さびしい」しかないのだ。

「さびしい」という感情には「不安」がつきものだが、この子には不安はない。

「死」ということも知らないから、「死んだらどうしよう」なんて考えがない。
たださびしいのだ。

「最初から最後までさびしい」…こんな感覚、初めてだ。

圧倒的なさびしさ。

でも何だろう。何かを感じるぞ。
そうか、この子はさびしくても、ちゃんと生きていこうとしているんだ。

さびしさの中のたくましさ。

そこまで感じたところで、イメージの中で、私は、この子を自分の家に連れて行くことにした。

そして、この子にご飯を作ってあげて、
「もう大丈夫だよ。ここで暮らしていいんだよ。これからは、私が一緒にいてあげる」と話しかけた。

この子は安心して、目をキラキラさせた。

「眠れなかったら、眠るまで傍にいてあげるね」とも言った。

そうしたら、ヨガ中なのに、とめどなく涙が流れ始め、
あたたかい気持ちがこみ上げて来るではないか。

この涙の意味は?
探って、さらに驚いた。

この涙は、孤児のこの子が救われたから、この子が喜んで泣いているのではない。

私が、自分自身の中のやさしさに驚き、そして感動しているのだ。

やさしくなれない自分に嫌気がさすことはあっても、
自分をやさしいなどとは思ったこともない私である。

その私が、今、泣いている。自分の中のやさしさに気づいて。

しばらくその感動に浸り、私は、またひとつ癒されたと思った。


…まさかヨガでこんなにデトックスできるなんて。

利香さんの誘導マジックのお陰だと思う。
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by tarakosun | 2014-08-31 21:28

ネガティブな話をしたら

愚痴をこぼしたり、
不満を口にしたり、
相談したり…

こんなことはよくあることだ。

よくあることな故に、今までよく考えもせずやっていた。

でも、ある時ふと思った。

私のネガティブな話を聴いてくれた人たちに、感謝をもって接してきただろうか?

私の暗い話を聴いて、相手も一緒にネガティブな感情を解放できたとしたら、
それはそれでいいだろう。

でもそれは、相手に感情浄化の力があったからで、
ほとんどの場合、ネガティブエネルギーの影響をくらって終わるもの。

いずれにしても私は、その人の大切な時間を使わせていただいたのだ。ネガティブな話に…。

そのことに感謝を表現するとしたら、私ができる行為は一つしかない。

「変わるよう行動すること」。

ちゃんと対応して、もう何度も何度も同じ話はしないこと。

それが相手への礼儀―そう心得た。
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by tarakosun | 2014-08-23 13:31

道(タオ)

「タオ」という音を聴いた時、何か感じるものがあった。

すぐに調べたら、古代中国の哲学家で「老子道徳経」というものを書いた人物だというが、
実在したかすら疑いがあるらしい。

実在したかどうかは別として、
とにかく音が心に心地よく響いたので、
セラピールームに「タオ」と名付けることにした。

その後、遅ればせながら、老子に関する本をいろいろと読んでみると、
「道(タオ)」とは、宇宙自然の普遍的法則や道徳的な規範、
自然と一体となることなど広く意味するそうだ。

そして、この考えを「道教」と言い、道教にそって生きる人々をタオイストというそうだ。

名付けた割に、「へ~、そうなんだ」程度の理解で終わっていたのだが、
少し前に、興味深い本に出会い、老子やタオへの視点ががらりと変わった。

老子の書に書いてある「道」は、表向きは、
「人はこう生きるべき」というようなことを書いているように見せ、
裏に隠した意味は「道」=「性」であるということだという。

「この世界はすべてが『性』なのだ」と。

…納得した。

だって、すべてが創造エネルギーによって生み出されているのだから。

「生み出す」は「産み出す」であり、産み出されるためには「性」が必要となる。

そして、老子の書にはこんな意味のことも書かれているそうだ。

「あなたたちは、歪められ、貶められた性しか知らない。
性を、恥ずかしいものよくないものとして闇に隠した。
抑圧されたものは、その出口を求めるが、再び姿を現した時は、本来の姿から程遠いものになっている」

確かに。

そうか、「男女間の性」、これは、人間が創造主になるかもしれないということか。
命を宿すわけだから、なるほど。

だから、本来は神聖なものなのだ。

そして、神聖でありながら、もっとも命に近い、まるで大地のようなものなのだ。

この秘密を書いている本は「タオコード」。

ぜひ、ご一読を。
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by tarakosun | 2014-08-11 22:08

「家族」とは、「学校」である。

嫌いな授業もちゃんと受けなさい。

そして、途中でやめるも、進学も自由。
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by tarakosun | 2014-08-03 21:49

催眠療法で人生を癒す、ヒプノセラピストのココロの旅日記