人を出し抜くような方法で生きる者が栄えることがある。

それは、世の中にはそれを好む同じような人間が多いからである。

そういう者が栄え、得ていくのにも意味がある。

一見得たようだが、後でそれが大きな反動を起こす。

そしてまた、正直に生きているのに、思うようにならないことが起きることもあるが、
それにも意味がある。

成長につながるからだ。
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by tarakosun | 2014-01-30 19:36

私のこと

自分が抱える何か重たいものの正体を知る術もなく、

自己肯定感が低く、

「いい人」であることでその穴埋めをしようとし、

実力以上の自分を生きようとしていた。

そんな状態だから、

常にいっぱいいっぱいで、

被害者意識が強く、そのくせ傲慢。

何かあればすぐに、内面で自己憐憫に浸り、

外側では他者批判をしてしまう。

…これが過去の私の状態。


自己否定を抱えながら、いい人を生きるのはとてもしんどいことだ。

こんな作業は不毛と言われるかもしれない。

偽善かもしれないし、博愛主義と揶揄されたこともある。

でも、人の役に立てることがうれしかったし、

何より、こんな自分を生きてきたことで、

ものすごく心の体力がついた。

自分の限界を超えられた。

自分の行為というのは、圧倒的な説得力をもつ。

「動機がどうであれ、あなたはやったんだよ」と。

だから、そんな自分に今、「ありがとう」と言いたいと思う。


もし、今、私と同じように生きている人がいたら、

私からもあなたへ、「ありがとう」と伝えたい。
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by tarakosun | 2014-01-26 11:17

子育てというのは、「子どもを導く」のではない。

「導く」ためには、子どもの前に立たなければならないであろう?
それであっては、子どもはあなたを追い越すことができない。

子どもとは、いずれあなたを追い越す存在なのだから、
子どもの前に立つのではなく、子どもの後ろに下がりなさい。

そうしたら、子どもの姿がよく見える。

あなたが子どもに付いて行く。導いてもらうのだ。
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by tarakosun | 2014-01-10 13:33

あけましておめでとうございます。

セラピーを受けるということは、決意の要ることです。
その決意をされた勇者であるお一人おひとりの変化の節目に立ち会わせていただき、
昨年も本当にしあわせな一年でした。

まずは自分に取り組むことを忘れず、
多くの方々との出会いをいただく中で、成長していきたいと思っていますので、
本年もよろしくお願いします。



~ガイド語録~

もしあなたが、相手に何もしてあげないことが「放っておく」ように感じて、
つい手を出し口を出してしまい、
結局、相手の力を伸ばしてあげられないとしたら、
それは、「見守ること」と「放っておくこと」の区別がついていないからである。

相手が自分の問題に取り組む苦しみを味わっている時、
あなた自身も、手出し口出しを我慢する苦しみを味わっているなら、
「苦しみを味わう」という点で、相手とあなたはつながっている。

そして、その「苦しみを味わう」という点において、
あなたの行為は、「見守る」という行為となる。

「見守る」は、互いの痛みをそれぞれに感じ、成長すること。
「放っておく」は、ただ、痛みから逃れることなのだ。
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by tarakosun | 2014-01-07 21:53

催眠療法で人生を癒す、ヒプノセラピストのココロの旅日記