愛された感覚を思い出す

「誰かから愛されていた自分」。

この感覚を思い出すことほど、自信がつくことはない。

これは、「感覚」であって「考え」ではないから、
理屈抜きで、「そうなんだ!」と腹に落ちる。

愛された感覚を思い出すと、
心の底からありがたいような気持ちになって、
体中があたたかくなり、
この感覚は「安心」も与えてくれるから、
「あるがままの自分でいいのだ」という自分への信頼が生まれる。

そうすると、まるで自分が安心に包まれたように感じ、
そしてそれは、現実に、自分の体を何かの力がシールドしてくれる。

小さい時に、祖父母に可愛がられた人は、
可愛がられることに慣れているから、
その雰囲気を周りが察して、可愛がりたくなる。

それと同じように、
このシールドがあると、周りがその人を受け入れたくなったり、あるいは攻撃できなくなったりということが起きる。

こんな風に、愛された感覚というのは、内側にも外側にも強力に働きかけ、
私たちを無敵にしてくれる。

でも、これは通常の意識状態では感じづらい。

ところが、催眠状態であれば、容易に感じることができる。

セラピーの手法はいろいろあるけれど、
この、「愛された感覚を取り戻す」のが、問題解決の一番の近道だと私は思っている。
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by tarakosun | 2013-06-17 12:09

自由意思と自己決定

人生は、自分の意思による選択の積み重ね。

一瞬一瞬、決めている。

「自由」とは、自分で決められること。

そして、「自分で決めた」と自覚するのが「自己決定」。

だから、楽しむ選択も良し、苦しむ選択も良し。

でももし、その選択で不満でいっぱいになったり、人のせいにしたくなるなら、
それは、自分で決めていないから。

いえ、自分で決めたという自覚がないから。

この「自覚」があるかないかによって、人生は大きく変わる。

例えば「依存」。

自覚した依存は、
寄りかからせてくれている存在をより強く感じるから、
「感謝」の気持ちが起きてくる。

自覚していない依存は、
何のありがたみも感じないから、「傲慢」になる。

自覚するかしないかで、真逆の結果になってしまう法則。

自己決定をもって、苦しみを選択すれば、
その苦しみさえも尊いものになる。

喜びは、苦しみと背中合わせに存在することを知るから。

意気地なしの私は、楽しむ選択だけしたいのだけれど、
潜在意識は私を成長させようとして、
楽しみの中に宿題を出すから困ってしまう。

でも、ある時気づいた。

宿題は、満点を取らなくても、
挑戦しようと決定して、一歩足を踏み出しただけで、合格になるということを。

自分の中心に、「思いやり」という柱を立てて決断すれば、
それが自然と、大きな変化を生んでくれる。

ただし、この「思いやり」は、なんでも容認することではない。

時に、「ならぬことはならぬものです」と言い切る意思も必要になる。
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by tarakosun | 2013-06-10 07:12

催眠療法で人生を癒す、ヒプノセラピストのココロの旅日記