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竹脇無我とうつ

きょう、新潟テルサで、
「うつ病になってよかった」というタイトルで、
竹脇無我さんと松浜病院院長の対談がありました。

無我さんの父親は、無我さんが15歳の時、
お本人が49歳の時自死。

そして、無我さんは49歳の時にうつ病を発症。

自殺願望が現れ、屋上に登ったこともあったそうですが、
「死ぬ勇気がなかったから死ねなかった」とのこと。

死ぬ勇気がなかった…怖かったのは、
自身が自死遺族だったからではないでしょうか。

家族を自死で亡くした苦しみは
遺族しかわからないものでしょうし、
だからこそ死ななかったのだと思います。



2部のシンポジウムでは、
自死遺族の自助グループの方がシンポジストで登壇していて、
社会の無理解から、心ない言葉を投げられ、
二次被害を受けたことなどを聞き、
弱者をいためつける日本社会の構造を改めて感じました。

病気をカミングアウトした人にも
同じようにバッシングが寄せられるという話も聞いたことがありますし、
私自身、似たような経験がありますし。

弱い者に厳しい社会。

「適者生存」。

アメリカ的な考え方ですね。

合理主義が生んだ、命を脅かす方向です。

経済優先の生き方を選択している限り
自殺は減らないでしょう。

新潟は全国平均より自殺が多いので、
県も市も、自殺予防に本気で取り組んでいますが、
即効性があるのは、弱音が吐ける人間関係をつくることです。

そして、男性は「男らしさ」の幻想に気づき、降りて、
感情を表現し、甘え、これ以上頑張ろうとしないで欲しい。

「命は地球より思い」という言葉は、
「あなたがいなくなった瞬間から、もうあなたがいなくなった地球になる」という意味です。



あなたは、あなたがいなくなった世界で
生き続けなければならない人の苦しみを背負うことはできますか?

できるはずありません。亡くなってしまうのですから。

自らは楽になっても、自分の苦しみの数倍を家族に相続してしまう…
それが自死です。




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by tarakosun | 2008-09-20 22:11
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