「あの時、こうすればよかった」。
失敗の度にそう思ってきました。
今もまだ、その癖が取れないのですが、
それでも最近は、少なくなってきたかな。
母は、昔から今でも、ずっと完璧な結果論者なので、
何か子どもがつまずいたり、不利不便なことがあると、
「どうしてこうしなかったの?」「こうすればよかったでしょ」と
責める方法でしか、子どもにしつけができない人です。
失敗しそうになったけど、結局乗り切った、という話を
ほめたり、ねぎらったりしてほしくて母に話すと、
乗り切った努力の部分は横に置き、
決まって、「どうしてそんな風になるようなことをしたの!」と叱りました。
そのたびに、「母に話すのはもうやめよう」と誓うのですが、
母が機嫌良くしていると、やっぱり話したくなって話してしまい、
その結果は予想通り。
「もうやめよう」…この繰り返しです。
そして、このようなネガティブな人格が出来上がってしまいました。
でも、自分に対してはまだ結果論をつぶやくけれど、
自分の子育てではこの連鎖を断ち切ることができたと思っています。
結果論は、だれにでも言えます。
結果論は、過去に生きることであり、
自分を責め、人を責めるだけことで、何の生産性もありません。
結果論に愛がないとは言わないけれど、
同じ愛情表現ならば、過去を責めず、常に過去を乗り越えて進むことを伝えたいと思います。
母のお陰で、
「どうしてこうなったか」より「これからどうなりたいか」を見ること、
感情こそが、その人にとっての真実であり、
どんな感情も肯定される必要があることを知ることができました。
これは、親としてもセラピストとしても宝です。