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祖母との対話

近くに住む母親が、夜間ひとりで暮らすのが難しくなり、
夕方から翌朝まで、我が家で過ごすことになってから半年。

…なかなか難しい意思疎通。

そもそも、母親との関係から派生したことを改善するために、
催眠療法士の勉強や心の勉強をして来て、
ヒーリングや心理療法、キネシオロジーなど、相当いろいろな方法で取り組んできたのだが、
一緒に暮らすとなると、避けることのできない課題として毎日目の前で繰り広げられ、
どうにもいい方向に持っていけない。

これまで学んだことを総動員して、手を替え品を替え、
コミュニケーションにあたっているのだが、
同じ日本語で会話しているのか!?と思うほど、思いが通じないのだ。

そんな中、ある日瞑想していると、
亡くなった母方祖母がイメージの中に現れて、
「あの子(母)がこんな風に頑なになったのも、偏ってしまったのも、全部私のせいなんだよ。
私が親としてふがいなかったから、あの子に苦労を背負わせてしまったの。だから、私に免じてあの子を許して欲しい」と告げてきた。

祖母は良家の出だったが、30代で夫を亡くし、小さい子どもを抱え、働くこともできず、
一家を支えるために、私の母は14歳から働いてきた。

以前から、母の中に、家族を養ってきたことの誇りと同時に、
家族の犠牲になった恨みが同居しているのを感じていたので、
祖母の言葉はスーッと入って来たが、

おば達が「あなたのお母さんは確かに苦労したけど、
30代で未亡人になった母親が、ひとりの子どもも手放さずに来たのは凄いことだと思うよ」と話していたのを思い出して、
イメージの中の祖母に「おばさん達はそう言っていたよ。そんなに自分を責めることはないよ」と伝えると、
祖母は、
「あの子たちがそう言ってくれるのはありがたいことだけれど、
だからと言って、私が自分をふがいないと思うことに変わりはないんだよ」
「親だから、子どもに苦労させたのは、やっぱりふがいないもんだよ」と答えた。

泣けた。

祖母の深い愛が伝わって来た。

…その後、不思議なことに、母親の様子に変化が。

「子どものときは裕福で、あつらえたワンピースを着て上野動物園に連れて行ってもらってありがたかった」
と急に祖母に感謝するような話をし始めた。

これまで聞いてきた思い出話というのは、100%と言っていいくらい、不満と理不尽を語るのものだったので、初めて聞く話だった。

そして、「体を壊すほど働いて来たけど、参観日にも行ってやれず、他人の家に預けたりして、子どもにはさびしい思いをさせて来た」とも語った。

これもはじめてだ。子ども時代の私や姉を気遣うなんて。

驚いた。

母親も、自分が望む人生の集大成を自分なりにしようとしているのかもしれない。






by tarakosun | 2018-03-30 15:42
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