自分の思いを貫くというのは、思った以上に難しい。
時に、その思い自体が揺るいだりするし、
貫くことがしんどくなって、やめたくなったりもする。
正義感が強いのに、意気地無しの私は、
いつだってブレブレで、
そのブレが、一番自分をしんどくさせてきた。
…でもどうだろう。
その思いを貫くことで、誰かを守れるとしたら…。
少しは強くなれるのではないだろうか。
ましてや、誰かがそばにいて、「あなたは間違っていない」と言ってくれたら、
もっともっと私は強くなれるのではないだろうか。
「自分のため」で終始する貫き方もあるだろう。
でも、一番大切なのは、その「動機」だと私は思う。
「意思の強さ」と「頑固」の違いが、ここで表われる。
勝ち負けにこだわると、問題の本質を見失うことになるし、
勝っても後味が良くない。
「正しい」を主張しているのに、満足も幸福感も得られないから。
しかし、例え動機が純粋であっても、
順調にいくとは限らないから、これもまた、やっかい。
まあ、順調にいくのも、
相手のいないサッカーで、ゴールを決めるようなものだから、
結局これも、満足も幸福感も得られないということになるのか。
皮肉な話だ。
それにしても、自分の思いを貫くということに、困難がつきまとうのはなぜなのか?
内面に問いかけたみた。
「自分の思いを信じなさい。そこを信じ切れていないから、揺れるのだ」
「そして、歴史を振り返ってごらん。
いつの時代も、何かを変化させようとする時には、どんな人も抵抗にあってきた。
大事なのは、屈しないことなのだよ」
…こんな答えが返ってきた。