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裏側から攻める

物事はいつも表裏一体。

「自分はダメだ」と
自己否定ばかりしてつらくなる時、
同時に
他者否定の氣持ちも存在している。


主語は関係ない。

身体にあるのは「否定」という
エネルギーだけ。


まずは、「自分はダメだ」という
自己否定の氣持ちを感じることから
始める。


頭で「自分はダメだ」と
思うだけではなく、
身体の感覚を伴わせながら、
「自分は何てダメなんだ〜」と
しみじみ感じる。


情けない氣持ちや
罪悪感が出て来たら
順調にいけてる証拠。


次に「他者を否定する氣持ち」を
感じる。

「人を見下す自分」を探す。


「人を見下す自分がいる」なんて、
認めたくないかもしれないけど、
見つける。


見つけたら、
一旦、そういう傲慢な自分の姿を見て、
情けない氣持ちや罪悪感を味わう。


感情を見ていくとわかるように、
自分を見下すことも、
人を見下すことも、
結局、同じ氣持ちになるということ。


私たちは、
「被害者の自分(表側の自分)」に
目が行きがちだけど、
「加害者の自分(裏側の自分)」もいるから、

表の自分に取り組んだら、
裏の自分にも取り組むことで、
根っこから解放が起きる。

裏の自分に取り組むのは
相当な勇気が必要だけれど、
勇気をもって立ち向かう者にのみ、
得られる自由がある。


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# by tarakosun | 2024-03-19 00:00

身体はズレに氣づくアンテナ

5年前から始まった大デトックス。

いままで蓋をしてきた
自己否定やら罪悪感やらが
怒涛の如く出て来て、
何箱ティッシュを使ったことか。


自分の感情と向き合う時間は
とてもつらかったけれど、
過ぎてしまえば、
ある意味
心地よかったようにも思う。


そして、感情と仲良くなることで、
副産物を得ることができた。

それは、
身体の感覚が敏感になったこと。


長い間、
身体を置き去りにして、
思考ばかりに頼って生きていて、
感覚が麻痺していた私にとって、
これは大きなギフトだった。


感情は必ず身体の感覚を伴っている。

だから、感覚を敏感にキャッチして
感じて来たこの数年で、
身体の感覚が鋭敏になったようだ。


自分からズレた思考、
ズレた言動、ズレた行動をした時、
身体の感覚が、「違和感」として現れ、
それに氣づかせてくれる。


「正直不動産」というドラマで、
ウソがつけない主人公が出てくる。

まるでそれと同じように、
もう自分にウソがつけなくなった。


この「違和感」は、
私には「周波数の乱れ」に感じられる。

身体に不協和が起きて
とても心地悪い。


でも、タッピングして
経絡に振動を与えていると、
感情の乱れがチューニングされて
自然に不快感が消える。


身体がズレに敏感に
なってくれてよかった。


できればズレる前に教えて欲しいけど😅

身体はズレに氣づくアンテナ_c0149187_21300039.jpg









# by tarakosun | 2024-03-18 00:00

同じ土俵に上がる

子ども時代の未消化な感情は、
凍結したまま身体に残っていて、
腰痛や肩こりとして現れたり、
物事に対する「反応」として現れたりする。


凍結しているから、
その時のままの自分がいて、
それを「インナーチャイルド」という。


インナーチャイルドには、
健全で元気な子もいれば、
ひとりぼっちで泣いている子もいるし、
ガマンし過ぎて
泣けなくなっている子など、
多様だけれど、
中でも傷ついたインナーチャイルドが
出てくると厄介なことになる。


周りの人の態度や言動に、
頑なな反応をしたり、
ムキになったりと、
過剰に反応する時は、
傷ついたインナーチャイルドが
出て来ている時。


相手が子どもであっても、
同じ土俵に上がって、
ワーワーとわめいたりね。

本人は、
まさかインナーチャイルドに
憑依されているなんて知らないから、
子どもじみた思考を
大人の支配力を使って
堂々と振り回すから。タチが悪い。


自分が自由を許されなかったからと、
子どもが楽しむのを喜ばなかったり、
子どもが窮地に追いやられている時に、
世の中の常識を切々と説いたり、
厳しいことを言ったり。


「私はガマンして来たんだ!」
という氣持ちが癒されていないから、
結局は、自分の親と同じように
子どもを抑圧する。


そして、
それを「いい事をしている」とか、
「正しい事を言ってる」と
思っているのだから、
救いようがない。


インナーチャイルドは、
トラブルが起きると出て来やすいから
なお困るよね。


……で、どれだけの失態をしてきただろう。


過去の自分を振り返ると
恥ずかしいばかりだ。


でも最近になってようやく、
インナーチャイルドに
乗っ取られていることに
氣づけるようになって来たように思う。


そういう時の自分というのは、
身体の中でエネルギーが上ずっていて、
独特な感覚になり、
言動、行動がくさい芝居のようになる。


例えば、
言うことを聞かない小さい子に、
「だったら、もうこのおもちゃ捨てるよ!」
なんてセリフを言っている時とか、

「お母さん嫌い」と言われて、
「何言ってるの。だったらもう
ご飯作ってあげない!」とか。

「もう、お母さんがどれだけ
頑張って来たかわかるでしょ!」
なんて、
子どもにわからせようとしたりね。


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# by tarakosun | 2024-03-17 00:00

悪魔に守られる

純真無垢な赤ちゃんも、
心が傷つく体験によって、
怖れの氣持ちが強くなり、
それと並行して、
過剰に自分を守ろうとするようになる。


自分を守る方法は人それぞれ。

肩書きや権威を得ることだったり、
経済力を得ることだったり、
人に氣を遣うことだったり。


傷に向き合わず、
外側を変えることで
自分を守ろうとするのは、
結局、ストレスで
家族につらく当たって、
当たられた家族も心が傷つくという
連鎖に繋がる。


ストレスはけ口にされるのは、
立場の弱い子どもであることが多く、
親の機嫌次第で
自分の運命が決まってしまうのだから、
とても怖いことだ。


こういう時の親は、
子どもにとって恐怖で、

本来、安全であるはずの家が
怖いということは、
とてもつらいこと。


その時の親を思い出した時、
辛辣な表現だけれど、
「親の悪魔の側面」という言葉が浮かんだ。


悪魔と対峙するにはどうすればいいのか
と、思いを巡らせていると、
「悪魔には悪魔。あなた中の悪魔を使え」
という言葉が来た。


え〜、親の中の悪魔?
私の中の悪魔?


「怖っ」と思ったけれど、
浮かんだまま、
「悪魔」という言葉を使って
タッピングしていると、

「悪魔とは怒り」、という言葉が浮かんだ。


「負の連鎖を断ち切るには、
怒りのエネルギーが必要なのだ」と。


悪魔とは、
天使の中でも最も賢いルシファーの
化身。


それと同じで、
怒りとは、
愛が姿を変えたものなのかもしれない。


怒りを感じていると、
守られている感じがした。

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# by tarakosun | 2024-03-16 00:00

対処法を考える前に

悩んだ時、
誰だって「どうしよう!?」
と、すぐに対処法を考える。


そこで、感情の抵抗を感じずに、
自然な対処方法が取れれば
何の問題もないのだけれど、
それが出来ないから悩んでいるわけで。


「悩んでいる」ということは、
「対立する2つの氣持ちがある」
ということ。


「こうした方がいいとわかっているのに
出来ない。したくない」

という状態。


氣持ちが対立しているのに、
その位置に立ったまま対策を考えても、
スッキリした解決法には行き着けない。


対処法をひねり出す前に、
起きている「感情」に対処するのが先。


自分の中の「抵抗している感情」を
見つけて、
そこに対処しない限り、
氣が済む結果にはならない。


この順番が逆になると、
むしろコトを複雑にしたり、
新たな混乱が生じたりするもの。


なぜなら、
感情をスルーして、
外側の現象にだけ
対処しようとすることは、
感情に蓋をして、
思考でだけ現実を
変えようとすることであり、
この状態になると、
エネルギーは反転状態になるから。


エネルギーが反転していると、
結果も反転するのが自然の理。


だから、感情への対処が先なんだね。


何が受け入れられないのか、
受け入れたらどんな氣持ちになるのか、
何を認めたくないのか、
認めたらどんな氣持ちになるのか、

それを探ってみる。


もしかしたら、
自分に不都合な答えに
行き当たるかもしれない。

でも、そこで
真正面から見ることが出来たら、
奇跡っぽいことが起きるかもしれない。

対処法を考える前に_c0149187_19172008.jpg



# by tarakosun | 2024-03-15 00:00